偲んで

18日に高倉健さんが亡くなったことを知る

心の奥底がぐらぐら揺れ動いて、、、逝ってしまったのですね、、、

60年、もう少し前
渋谷駅のハチ公近くに父が店を任されていた
そこに、お客さんで大学生のオダ君という方がちょくちょく来ていた
明治大学の学生さん、食事によく来た
カウンター越しの父と話をよくしたらしい

健さんが映画で有名になったころ、父が高倉健さんは、本名を小田さんというんだ

いい男だった、本当にいい男だった

しばらく来なかった、、、
大学も卒業して

しばらくしてきたときに「おやじ俺決めたよ、東映にいく」
東映、か、良かったね

いい男だった、本当にいい男だった、と

健さんは東映に
父は店をうつり
そのすぐ後、私は生まれた

私は父からその話を聞いたときに胸がドキドキした
父の話方の向こうには深い思いがあった
それがどうしてなのかはわからなかった
その時から「高倉健さん」は私の中で特別になった
心の中に高倉健さんという場所が出来た
小学校の頃だったと思う
父はその話を誰にもしてないらしかった

私はものごころついたころからの映画はほとんど見たと思う

そしてこれからも高倉健さんの場所はは変わらずある

涙がとめどなく流れます

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そうでしたか

お父さん ラッキーでしたね!
小田剛一さんとお知り合いだったなんて
おやじ、って呼ばれていたなんて

とってもいい思い出だったでしょうね
でもあまり他人には話さず りこぴんさんだけに話していたなんて・・・
きっと心の中の宝石だったのですね

yuukoさんへ

毎晩のように追悼番組で健さんをTVでみています

Attoさんに言わせれば、おやじそっくりだと

武骨な割に、変な冗談も言う
気に入らなかったら、顔に出る、自分では相当あらわさないようにしているらしい、でも傍にいる私にはわかる
プイと自由気まま

健さんになってから、父は会おうとはしなかったのです

もう健さんだから、小田さんを知っている自分には合いたくないと、思われると思ったのか
父なりに気を使っていたのでしょうか

父が亡くなってからは、健さんを見ると父のような感じになってしまって、亡くなったらTVで見るたびにそう思います

父は不思議な人で、伊東の店には片岡千恵蔵さんや、魚住さんや加藤登紀子さんや、新劇の俳優さんたちが来ていました

喜和子さんもあの晩、うちの店に来ていればあんなことにならなかった、、、とあの時に思いました

遠くにいても、みんな同じ空の下にいる
今、見ている景色は違っていても、伝え合っていける

今日はカレンダーブックを準備しています

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りこぴんパワーで今日の1日を頑張ろう!

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